叩き上げの英語 196
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叩き上げの英語 196
2018年10月13日(土)5:00 AM
菊田一夫のすれちがいドラマと言われ、その放送時間帯には女風呂がからになるとまで評された「君の名は」がラジオに流れ、大ヒットしたのもこの年であった。
私が昭和三十年に再び軍の制服を着るべく航空自衛隊に入隊するまでの三年間に、私は三つの職場をめぐり歩いた。
最初は内閣調査室であった。昭和二十七年の七月のことである。英語名は Cabinet Research Chamber で、身分は嘱託であった。朝から晩まで英訳三味である。
海外からの引揚者や復員軍人の手記を英語に翻訳するもので、各人各様の体験の特異さは、それだけで私の翻訳経験の多様性につながり、いろいろな表現法を知るうえで、また日本文を効果的に展開し、削除し、あるいは補充する英訳テクニックを身につけるうえで、この時の一年有余は私にとって大きな進歩を得るところとなった。
昭和二十九年七月には、PSD時代の中島氏のお姉さんがつとめるガイ・F・アトキンソン社に彼の世話で就職することができた。
佐久間ダム建設工事のコンサルタント会社である。東京駅八重洲口の新鉄綱ビルにその会社はあった。
ここも十ヶ月ぐらいで退職し、新聞の募集に応募して入ったのが神田にあった「新潟ウォシントン株式会社」である。この会社は新潟鉄工所と米国のウォシントン社の合資会社で、米国側からウッド氏が派遺されて来ていた。昭和三十年の五月だった。
私は彼の秘書ということで採用され、給料は米国から支払われた。だから私は他の社員とは別格の、彼らから見れば他社より出向してきている臨時的なもの、というようにしかうつらなかったようである。