叩き上げの英語 186
私がGHQの公安課を退職し、友人の紹介で米軍事顧問団に特殊通訳翻訳として入ったのはこの年二十六年の八月であった。
この顧問団の英語名は Military Assistant and Advisory Group-Japan で、その頭文字をとってMAAGJ、マグジェイと略称されていた。
前年に生まれたばかりの警察予備隊の指導育成がその主な任務で、内容が内容だけに、その通翻訳は高度な語学力を持つプロフェッショナルが要求された。
特にその語学力に加え旧陸海軍出身者がマグジェイにとっては望ましく、その点私は要件を満たしていた。
創設当時の予備隊の教育総合機関として、総隊学校というものが設立された。旧海軍通信学校の施設を使用したもので、横須賀線久里浜駅の近くであった。
通信・衛生・補給などの各学校がその中にあり、私が配属されたのは衛生学校であった。
各部隊から集まってきた総勢二十~三十名の学生隊員を約半年かけて衛生看護兵に育成するのが目的で、これを指導する担当米顧問団はフリーマン中佐を長とし、その下に二人の中尉と三人の軍曹がいた。
中尉は二人とも女性士官で看護婦であった。一人はスローン、他の一人は二世でニシヤマといった。顧問団の本部は麻布六本木だった。奇しくも私がいたかつての第八騎兵連隊のビル内にそれはあった。
所用でそこをよく訪れた私の目には当時とまったく変わらない建物の内部がなつかしくうつった。しかし今は亡きペイン軍曹のベッドのあった位置には書類のぎっしりとつまったロッカーが数個並べて置いてあった。
冷たい金属の感触があわい螢光灯の下で鈍くうそ寒い。ここにいた人一人の命が消えたというのにだれも知らぬ気の冷酷な事務所の内部は活気にさえ満ちていて、友の顔が悲しく浮かぶ。