叩き上げの英語 174
私の通訳生活の第一歩となった丸の内のアメリカンクラブ、私が変装までして通いつめ、係の人を根負けさせた思い出のところだが、それはすでに姿を消していた。
私の行った安定所はたしか飯田橋であったと記憶しているが、通訳、翻訳関係は二階がその受付けであった。一階は語学関係以外の職種で求職者があふれていた。
二階に上ってみると十人ぐらいが長椅子に腰かけて自分の順番を待っていた。相談員は三人で、こちらを向いて大型の机に坐っている。それぞれの机の上には書類やカード類が十センチぐらいの高さに積まれてあった。
私は左端の女性の相談員をえらんで、その前に坐った。そして長椅子に坐ったのも左端であった。つまり窓に一番近いところに坐ったというわけである。
特にどうという理由はないのだが、ただ何となくそこに足が向いてしまったとしか言いようがない。
八月初旬である。当時は冷房などはあるはずもなく、窓という窓はすべて開け放たれ、入口のドアもひもでしばって風で閉まらぬようにしてあった。時折吹き込む風は心地よかった。
あと二人で私の番というとき、窓から突風が吹き込んできて、私が待っている女性相談負の机の上の普類がぱらぱらとめくれ、数枚が飛ばされて床に散乱した。
私はつと立ってそれらを拾い集め、自分の腰かけていた長椅子でとんとんと揃えて、彼女の机の上に戻した。 求職者と談話中の彼女はそれでも私に微笑みながら、Thank you for trouble of picking up these papers. と言ってくれた。
歯切れのよい口調が耳に心地よかった。ただ、サンキューだけでも充分なのに。 for 以下もきちんと述べる彼女に好感が持てた。