叩き上げの英語 104
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叩き上げの英語 104



三沢はじきに寒さに閉ざされる。三沢基地には毎日のように大ぜいの人が就職していった。通訳もだんだんとその数を増した。労管の松林氏の世話でときどき通訳同士の懇親会が開かれ、連帯意識を持つようになった。


そんな仲間やGIからレディーキラー(Lady killer)という、やっかみ半分の仇名をもらいながらも、相かわらずAPと私の駅での勤務はつづいていた。私のそんな変則的な仕事のゆえもあって、私のことが近隣に知れ渡るようになった。


英語が話せる日本人、そしてなにやらタイプという機械も使っている日本人ということで、当時の村落の人々にとっては進駐軍が身近に来たこと以上にめずらしいことであり、格好の話題となった。  


まただんだんと増えてくる米兵たちを見るにつけ、何かというと私やAPをたよりにした。駅附近にぽつぽつ見え始めた米兵相手の商店も、彼ら米兵との間にトラブルがよく起きた。


そんなとき警察はまったく相手にされず、連絡はまず駅にいる私たちに来るのである。APはしかしよほどの緊急事態でもない限り、警察からの要請以外には原則として行動をとることはできず、だから私がその「代理」という形で、その「事件現場」に行く。


ほとんどが金銭的なもつれで、言葉のいきちがいがその原因であった。そんな商店主と世間話のついでに、私の基地での三度三度の食事は。パンと肉とじゃがいも、それにコーヒー等で飽きあきしてしまうと、一言でも言おうものならとたんにご招待を受けることになる。  


家族中に迎えられ、久し振りにあぐらをかいて食べる白い御飯の湯気のにおいと味噌汁の味、心のこもった煮物につけものは私にとってなによりのごちそうであった。