叩き上げの英語 079
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叩き上げの英語 079


私がKPのときに一緒だった村田氏がその基地につとめているということを知り、その彼をた よって私は三沢にはるばるやってきた。昭和二十三年七月頃のことである。  


RTOでは学ぶものはすべて吸収しつくしたので、私は別のちがった仕事をさがしていた矢先、 彼から便りを受けたのである。それによると広大な飛行場での仕事は、こせこせしたせまい都会 では到底味わうことのできない魅力があり、同じ仕事をするにもはるかにしやすい。


その上土地 の人々はみな素朴で、親切で、とくに若い人たちは東京からきた人には一種のあこがれすら抱い ている、ということであった。 私も終戦時は茨城県の土浦海軍航空隊を経て千葉県の茂原海軍航空基地にいたので飛行場の広 大さと無限に広がる視野の快適さは充分承知していた。


たまにはそのような広いところで仕事を してみるのも悪くはないと考え、RTOに別れを告げた。 村田氏はあいかわらず食堂勤務であった。601st Mess Hall で彼はもはやKPではなくコック ヘルパーという job title であった。


コック見習いというところであろう。KPよりワンラン ク上といったところである。 基地と古間木駅とを結ぶ道の中間あたりに元日本海軍の士官宿舎があり、米軍はそれをも接収 し、日本人労務者の宿舎にあてていた。


前述したようにぼう大な労働力を必要とした当時の基地 は地方からも労働者を確保せねばならず、そのため基地内にかなりのスペースをさいて鉄筋三階 建ての宿舎を建設中だった。その完成までとりあえず士官宿舎が使われていたというわけである。