叩きあげの英語 078
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叩きあげの英語 078

 

PART6
英語を学ぶ前に日本語を学べ
基地憲兵隊で英語を brush up
 
 
昭和二十三年頃の米軍三沢基地は旧日本海軍の施設等の取りこわし、改修・新築など工事がまっさかりであった。このため労務者はいくらいてもなお不足の状態であった。

この基地には当時は米第五空軍(Fifth Air Force)が入っていた。三沢基地の発展の歴史は、そのまま三沢市の発展の歴史である。
 
今では日本有数の航空基地、というより、日米共同の大要塞と化し、日米同盟強化の中、熱い視線を浴びるようになった。
 
現在、三沢基地には航空自衛隊の北部航空方面隊が置かれ、国産のF1戦闘機三十六機とE2C早期警戒機四機が常駐するという。この基地には米第五空軍も今なお同居し、さらに米海軍も分遺隊としてP3C対潜哨戒機九機を置いている。

兵員としては自衛隊員約三千六百人に対して米軍人は約三千四百、その家族を含めると約七千人の米国人が居住しているという。
 
今でこそそこは三沢市であるが、当時は上北郡大三沢町上久保という地だった。国鉄古間木(ふるまき・古老はふるまぎといった)=現在の三沢駅=から、バスで二、三十分のところにその基地の正門はあった。
 
駅から同正門に通じる道路はまだ舗装されてなく、車が通るともうもうと乾いた砂ぼこりがまきあがった。絶え間のない米軍車輌の通行に沿道の民家はほこりをまともにかぶり、なすすべもなく、玄関から横手の庭の縁側の戸障子に至るまで真白になっていた。