叩き上げの英語 126
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叩き上げの英語 126
2018年05月03日(木)5:00 AM
PART8
決まり文句を使うな,構文を作れ
マジホール
昭和二十四年、米軍の占領・進駐が始まって五年目を迎えた年である。戦後の日本の経済の最大のガンと言われたインフレに強大なメスを入れるべく米国の銀行家ドッジ氏が来日したのもこの年であった。
その結果、超均衡財政の実施が命令され、新為替レートは一ドルに対して三六十円が決定され、四月二十五日から実施された。このレートはその後約二十年間続くことになる。
またこの年、不可解な国鉄の事故があい次いで起きた。中でも当時の国鉄の総裁・下山定則氏が七月六日に常盤線北千住付近で轢死体(れきしたい)となって発見された事故は国民に大きなショックを与えた。
折も折、その二日前には国鉄三万七百人の首切りが発表されたばかりだった。この事件は他殺説が有力であったが、真相は不明のまま、迷宮入りとなっている。私の愚弟が同氏の子息と早稲田大学の同級生ということで、とくに私はその事件に関心を持った。
当時の国電中央線千駄ヶ谷駅付近は非常に閑静な屋敷町で、落ち着いた、心ゆたかな趣を呈していた。駅前は象徴的な図形で、駅を背にして道路を隔てて右手側には津田英語会、左手側には旧徳川邸があった。それらを二分するように中央に、きれいに舗装された道路が奥に向かって延びていた。
今でこそそこは都立体育館になってはいるが、当時の徳川邸はうっそうとした樹木がその屋敷内外に生い茂り、いかにも歴史の重みを感じさせる重厚なたたずまいだった。