叩きあげの英語 069
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叩きあげの英語 069

 

角界のみならず棋界からも負けじと呉清源もその熱心な信者となった。かれは計算にも強いからということで「じ光尊」の”大蔵大臣”を任命されたという。


また二十四年には踊る宗教の「大神さま・北村さよ」が天照皇大神宮教の教祖として、口を開けば「うじ虫」の歌説法と無我の舞で売り出してきた。丹下健三の設計でその殿堂も建設した。彼女は山口県田布施町の一介の農婦であった。


同じ就職をするにしても進駐軍部隊はその給料のよさは抜群で、とくに英語があるレベル以上になると語学手当(Language allowance)なるものがついた。基本給(basic pay)の二割三割とつくので、英語に対する学習意欲は米軍勤務者を中心に急速に拡まっていった。それに応えるようにして英会話学院が雨後のたけのこのようにいたるところに設立された。


近所の家に米兵が出入りするとまゆをひそめた人も、やがて自分の息子や娘が米軍に勤務するようになると、その友人の米兵を好んで家に招待するようになった。それは英語が、たとえまがりなりにも話せるという証左であり、英語がわかるということはそれだけで羨望の的と当時はなり得たのである。


RTOのインフォメイションセクションに勤務する女性の一人が神田の駅前の英会話スクールに通っていたが、彼女の話によると、そこは毎週土曜日の午後は自由会話のため、教室が開放され、だれでもそれに参加できるというのである。


彼女はそれのレギュラーメンバーで毎回行ってはいるが、とりとめのない話ばかりで、表現レベルも低劣で、あまり勉強にならないから、私もそれに参加してひとつ新風を吹き込んでくれないかというのである。英語を話すチャンスなら、どんなことでも積極的に利用する為、私は、もちろん喜んで彼女のお供をすることになった。