叩き上げの英語 214
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叩き上げの英語 214

 

房総の夏は、その変わり目からしてはげしく、情熱的な夏であった。 昭和三十一年である。 好景気の波は産業界全般に及んだ。賃金と消費水準が向上し、正に神武景気の到来だった。  

流行では婦人のXラインとロックンロールがあげられ、歌は「ケ・セラセラ」がヒットした。 また日本の国連への加盟も急速にその進展をみせ、十二月十八日の総会で正式にその加盟が決定した。かくて日本は戦後初めて、国際的な発言の場を得ることになったのである。


佐渡レーダー基地勤務で少し悩む  


この年の十月、私は新潟県の佐渡が島レーダー基地に行くことになった。命令は三ヶ月の派遣ということであった。このレーダー基地は金北山頂にある。  

今でこそ島の重要な観光道路としてりっぱに舗装整備されてはいるが、三十一年当時は金井村から金北山頂に向かう道路は、いわゆる山道で穴だらけ、石ころだらけであった。  

米軍は道路補修に別に手を抜いているわけではなかったが、人員も器材も不足気味のため思うようにはまかせず、自衛隊と米軍の重車輌のため道路は悪くなる一方であった。  

トラックが捲き上げるほこりは容赦なくその後部荷物室に浸入し、乗っている隊員の制服制帽はほこりまみれとなる。基地に降り立ち、帽子をとって服をたたけば、ぱっとまっしろいほこりが肩から腕から、さらには胸から舞いあがるすさまじさである。  

また道路はところどころがせまくなって、車同士がすれちがえない個所がいくつかあった。そんなところには米軍のモータープールに直接つながる電話があり、それを使って他車の通行の有無を確認してからそこに乗り入れるという策をとっていた。

何のことはない、飛行場の管制塔のようなもので、クリアランス(clearance)がない限りそのせまい道路に進入できないようになっていたのである。