叩き上げの英語 213
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叩き上げの英語 213

 

パーティーでも飲み食いよりも、新しい表現を学ぶことに  

前章で私は米軍勤務とは別れを告げたと述べたが、しかしそれは彼らから給料をもらうことはなくなったということであって、英語を職業とする限り米軍を相手とする仕事は相変わらず続いていた。  

この年の十二月は米軍基地司令官のグラント中佐の隊内官舎でクリスマスの宴が開かれ、自衛隊側からは、隊長の会田智一尉と私だけが招待された。

通訳としてではないのに、会田一尉のスピーチや米将兵との会話はいちいち私の通訳によらなければならなかった。飲食もだから意にまかせず、他の招待客のようには宴をエンジョイできずでは洒落にもならない。  

パーティーのさなか、それならいっそのこと飲み食いをあきらめて、グラント中佐の話をよく聞いて、なにか新しい表現でもあったら勉強しようと決心したのは、通訳の宿命とはいえ、われながらいじらしかった。  

年が明けて嶺岡山にも春がきた。南房総は温暖の地ではあるが、それでもうっすら残る雪にさえ、春の日ざしは眩しく照り返り、木樹の間をいそがしそうに飛び交っている小鳥たちのさんざめく声はそれだけで春のうたとなり、春風にふるえる葉ずれのさやぎと和して、それは自然の交響楽となった。  

タイプの単調な音に倦き、ふとその手を休める。頭をめぐらすと、開け放たれた窓から見える空はどこまでも青くつづき、そのあざやかな色に美しく染められた地上の草木は初々しく萠えていた。  

そして春をいとう間もなく、夏空がたちまち海をおおう。春の終りを待ってそれに夏がつづく、というのではなく、春のさなかに、それに切り込んでくるように不意に夏がやってきたのである。