叩き上げの英語 172
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叩き上げの英語 172

 

Good-bye Friends 朝鮮戦争へ、GIが  


朝鮮動乱(Korean strife)ともいわれたり、朝鮮戦争(Korean war)とも呼ばれたりした戦争が起きたのが六月二十五日であった。

米国軍隊はただちに武力介入し、あの陽気なGIたちはふたたび銃火に身を曝されることになった。  

この戦争はマッカーサーにより日本に再軍備をもたらし、警察予伽隊の誕生となった。平和憲法が発効してわずか三年後である。

この時、実に七万五千名の陸上軍が創設された。彼らの月給は五千円、二年勤務した後の退職金は六万円ということで大量の青年がこれに応募した。  

米第一騎兵師団に朝鮮出兵の命がくだり、早くも七月には私の勤務する第八騎兵連隊は朝鮮に向けて出発した。 出発一週間前からその準備が慌しく始まり、三軒茶屋へのパトロール行きは中止となった。  

GIたちには携行する荷物はできるだけ少なくするようにとの指示があり、彼らは少しでも仲良くしてくれた日本人の従業員たちには、洋服、シャツ、置時計、レコード・プレーヤー、ラジオなどの私物を惜しげもなくプレゼントした。

出発当日は快晴だった。何十台というトラックが兵員を乗せて次から次へと正門を出て行く。トラックを連ねて走行する部隊をコンボイ convoy という。昼間でも全車が前照灯をつけて走行するのが特徴である。

思えば五年前の昭和二十年八月には「日本、東京一番乗り」という看板を晴れがましく先頭のジープにつけて、第一京浜国道を東京に向けて走ってきた部隊だったが、彼らは同じ道を、今は生きて再び帰ることのない地に向かって、ひた走ることになったのである。

天命とはいえ余りにも無残であり、命令とはいえ、自分の生死さえ選択できない兵士たちのあわれさが胸をしめつける。