私は当初ひと月ぐらいは通訳は多賀氏にまかせ、憲兵隊の犯罪関係用語の勉強もかねて翻訳三昧に明け暮れた。翻訳のほとんどは、事件の度に関係者が当司令部に提出する、いわゆる調書、陳述書の類であった。
総じて文章としては最低のレベルで、しばしば意味不明の箇所にぶつかり、その度に電話で書いた本人に確認しなければならず、また私自身の英語力も充分でなかったのも否めない。そんなことで翻訳は遅々として進まなかった。
英語で苦労するのはもとより覚悟の上で苦にはならないが、しかしこのように日本語で苦しむとは思っても見なかった。
後年、技術文の世界に入り、技術和文の英訳を指導するようになるが、このときと同様、和文の拙劣さには呆れてしまう。だから技術者が英語を学ぶときには同時に日本語の正確な表現もよく学べと常に主張しているのである。
正直いって当時の私は翻訳はあまり得意ではなかった。私の英訳したものは米兵のタイピストがタイプし、最終的にはそれがどこへ流れて行くのかは知らなかったが、部内では一応それはそれで通っていた。
私の書いた英文はそれをチェックする人もいないままタイプされるが、そのタイピストはGIとはいえ、アメリカ人であるから、変な英文にぶつかれば、そうとわかるはずである。そしたら私に確認に来てもよさそうなものだが、一回もこなかった。
彼は原稿どおり打つように命令されているのかしらんが、たとえそうであってもまちがっていたらその旨私に伝えるべきであろう。私が聞いても彼はただ very good translation というだけであった。