叩きあげの英語 036
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叩きあげの英語 036

 

通信教育で深夜までガンバる

 

 

 この頃には世の中は少しずつ落ち着きをとりもどし、どこよりも早く「復興」の足音をあげたのは各地の盛り場であった。銀座、浅草、新宿、渋谷と、それぞれの特徴をもって、戦後の明暗いろとりどりに、画きだしていた。

 

 

 昔なつかしい柳の枯れてしまった銀座通りには進駐軍兵士の往来が目についた。進駐当初はてんでに腰につけていた水筒 canteen はいつとはなしに姿を消し、日本人との友好ムードが次第に高まっていった。

 

 

日本人のドライバーが米軍のジープやトラックを運転する姿もそこここに見られるようになった。

 

 

 またこの年ダンスが大流行し、日本人のバンドが米軍キャンプで演奏し、地域の日本人が多数米軍基地のクラブに招待され彼らとのダンスを通じていっそう親善ムードが高まっていた。

 

 

また日本人女性も安心して米軍基地にタイピストやクラーク、メイドなどの仕事で就職できるようになり、このようにして米軍基地社会に日本人が多数溶けこんでいったのである。

 

 

 当然、そういう職を求める人も増え、公的機関による求人求職活動が活発になってきた。当時丸の内あたりにアメリカンクラブという求人の機関があったが、そこは通訳・翻訳という、いわゆる語学のできる人、つまりリングイスト linguist のみを扱うところであった。連日、新聞にその求人広告がのっていた。

 

 

 工場から帰ると私は毎晩のように深夜遅くまで勉強した。通信指導で送られてくる教材は、それを待つ間ももどかしかった。仕上げた添削答案は自分で足を運んで届けた。郵送にかかる日数がもったいなかったのである。