叩きあげの英語 025
きっとなって、毅然たる態度を示したつもりの私の反発的な返答もこれですべて台無し、格好つかぬまま、仲間の前で男を下げてしまう破目となってしまったのである。
当初その会話ブックを見たとき、 nothing は no thing がミスプリントでくっついて一単語になってしまったのだと思った。だから no money とか no girlfriend などのように分けて発音したのが失敗のもとだった。気が利いて間が抜けたのである。
私はこのように失敗こそしたが、このフレーズから学んだ最大のものはその nothing についている to do だった。これは今でこそ不定詞と知っており、さらに名詞の nothing を形容している形容詞用法ということも説明できるが、当時、私が得たものは日本語の「すること」とぴったり一致しているということのおどろきと理解のみだった。
そこで、この「すること」の「する do 」を他の動詞に代えたら、いろいろな事が言えるのではないかと考えついたのである。
メスホールに働くからKPはどうしても食事に関しては他の職場の連中からはうらやましがられる存在であった。日本人はみな餓えていた。彼らも例外ではない。私ももしKPでなかったらもちろんそうしたように、さつまいも五、六本の手弁当持ちでいつも腹を空かせていた。庭内のゴミ拾いや雑物のあとかたづけ作業をやっている人々の、その歩きまわる姿はなんともみすぼらしかった。
体格がよく、飽食しているGIの目を私は両手でおおって見ないでくれと言いたい気持にさえなった。耐え難い空腹感が絶えず日本人につきまとっていたのである。